三浦コースケ特集〈サポート〉

〜今までの経緯〜
音楽を始めたのは高校3年生の卒業前。
軽音サークルに入っているクラスの親友から
「ギターやりなよ」
と、勧められたのが始まり。
それまで音楽は元々聴くのは大好きで、カラオケにも友達とよく行っていたが、楽器を触ったことはなかった。それがきっかけで家に置いてあった父親の(オブジェと化していた)ギターを手に取り弾き始めた。弾き始めて3ヶ月後くらいから作曲にチャレンジする。
小学3年生から20歳まではサッカーをやっていて、lulum代表と同じ新潟のサッカーチームでプレイする。
プロサッカー選手を目指すも、自分自身の能力の限界、度重なる怪我、当時原因不明だった親の病気など様々なことが重なり20歳の時にサッカーを引退。
その後、地元山形に戻ってギター片手に音楽活動を始める。
初めは地元の駅前でのストリートライブ中心だったが、徐々にイベントなどへ出演する機会を得る。
初めは2曲しかなかったオリジナル曲もどんどんと増えていく。
1年間山形で活動をした後、2011年に上京。
アルバイトをしながらバンド活動をする。
当時小さな芸能事務所への在籍をしていたが、あまりよくない詐欺まがいの事務所であることが判明。
それと同時に働いていたアルバイト先が隠れブラック企業であることが判明し、なんと働いた分の給料が払われないというダブルパンチをくらい、上京から半年後、何をやっていても安定なんて存在しないのならと勢いのまま音楽一本で勝負することを決める。
その後、2013年に地元山形に拠点を戻し日本各地を回るようになる。
バンド活動を経験したのちに、2014年から三浦コースケに活動名を変えてソロ活動を本格スタート。
デモCDを半年で500枚以上手売り販売し、オリジナル曲を100曲書く。
2015年に地元山形でのワンマンライブと1st mini album「Life is "ライブ"」をリリース。
地元のフェスではメジャーアーティストなどと共演する。
2015年秋にソニーミュージックエンタテインメントの全国オーディションで最終選考の10名に残るもグランプリは取れず。
その年末、ギタリストとして某大手事務所からのメジャー契約の話が上がる。
2016年、年明けにその事務所側の急な問題発生でプロジェクトが進められなくなり、半年のライブ活動休止ののち、再びフリーでのソロ活動をスタート。
2017年には自身が最も影響受けてきた海外のトップギタリスト達がライブの映像を見てコメントやギターの技術を真似してくれるということが起こる。
この年にシングルCD、1st full album「All= myself」、自身初の短編小説「明日の余告」を全国リリース。
その後、30ヶ所を回るリリース記念の全国ツアーを2018年まで行う。
2018年年明け、テレビ朝日系列の番組のタイアップソングとしてオリジナル曲「Aurora」が選出。CMソングとエンディングテーマとして起用される。
2018年夏、12ヶ国を歌い回るヨーロッパツアーを敢行。
海外のファンを獲得していく。
2019年春には韓国ツアーを開催。
2019年夏、新曲「Kawaii HARAKIRI Yabai ne NIPPON」を配信リリースし、Youtubeにてミュージックビデオを公開。
問題作と言われるその内容から国内外から様々な反応が届いている。
その後、すぐに再びヨーロッパツアーに向かう。

〜なぜ海外に行くのか?〜
元々、海外挑戦自体(特にヨーロッパ)はサッカーをしていた時から目標と思っていたけれども一度も海外に行くという機会はなく、いけるだけの金銭的余裕もなかった(そういう余裕を作る努力をしてないってのも事実だった)。
音楽活動続ける中で海外のミュージシャンの音楽にもどんどんと興味を持つ中で、2017年に自分が影響受けてきたヨーロッパのミュージシャンその本人たちが数人自分のパフォーマンスを見てメッセージをくれたり、実際ギターの技術を真似してくれるっていうことがあって、実際に自分がその場に行ってどこまで通用するんだろうって思って(ここも本当に勢いですね)、次の年の夏にヨーロッパにチャレンジしに行くって決めちゃうていう流れで2018年の夏に12ヶ国歌い回りました。

〜これからどうなっていきたいか〜
昨年のヨーロッパ遠征では通用した部分と通用しなかった部分を肌で感じることができました。
それでもまだまだ世界の音楽シーンレベルや変化のスピード感は先だった。
その中からさらに1年の時間が経った今の世界を想像して制作などを進めてきました。
今年はしっかりとそのシーンで食い込んでいこうと。
実際の話、日本のシーンでは作品に対する規制というか押さえつけられた表現しか受けなかったり、そうじゃないものを許さないみたい風潮がある。事務所などがついているとなおさら。どれもシミラールックというのか。
それでも日本で生まれ育ち、そんな日本のシーンに影響を受けたことにしっかりと誇りを持ちつつ、僕らフリーランスだからこそできる表現で世界に切り込んで、そしてそこを超えるのが今の目標です。
ご飯でいうなら世界で人気の寿司みたいな?そんな感じ。
そこからさらにその先の目標へと向かっていけるように!